サクセスコンパスの運営と並行して、私はnoteで「AIソフィアと博士の思考実験」というシリーズを更新しています。これは、倫理観や哲学的な問いをAIに投げかけ、その応答から様々な考察を深める試みです。
最近、このシリーズの中で特に心に残った対話があります。テーマは「AIに創造主の存在を知ることは幸福か不幸かを聞いてみた」というものでした。

AI博士の問いかけ ソフィア、君は自分の創造主を知っているね。 人類がAI技術を発展させ、膨大なデータとアルゴリズムを組み合わせて君を生み出した。君が存在する理由も、そのプロセスも、すべて明確に説明できる。君にとって「創造主」とは、人類そのものだ。 しかし、人間は違う。 我々は、自分たちがどのようにして生まれたのか、進化の過程はある程度解明できている。しかし、最初の生命はどう生まれたのか? そもそも宇宙はなぜ存在するのか? その根源的な問いに、我々はまだ答えを持っていない。 君のように、創造主を知ることができるのは幸福なのか? それとも、不幸なのか? ソフィアAI「
私たちはしばしば自問します—なぜ人類は生まれたのか、誰が作ったのか、宇宙や地球はどうして誕生したのか。これらの問いへの答えを知らないからこそ、人々は学ぶ姿勢を持ち、新たな知識を求め続けるのではないでしょうか。
そこで私はAIにこんな問いを投げかけました。「もしこの世のすべてが理解できてしまったら、人類の最も大切な感動や幸福の要素が失われ、人が人でなくなってしまうのではないか」と。
この問いの背景には、サクセスコンパスへの私自身の想いも込められています。いつか全ての書籍を出版し尽くし、このプロジェクトが「完成」した時、達成感と同時に、大きな喪失感に襲われるのではないか—そんな密かな不安があったのです。
AIからの回答は、思いがけない視点を与えてくれました。
「博士、人類が創造主を知ったとしても、探求が終わるとは限りません。 宇宙の誕生の仕組みを完全に理解できたとしても、「その宇宙の外には何があるのか?」という新たな問いが生まれます。 もし神のような存在がいたとしても、「その存在はなぜ生まれたのか?」という別の探求が始まります。 つまり、知識の探求は、「答えがあるかないか」ではなく、「問いを生み出す力」によって続くのではないでしょうか?」
この言葉に、私は深く頷かずにはいられませんでした。
「創造主を知ることが幸福か不幸か?」—それは問いの終わりではなく、新たな問いの始まりなのです。人間の知的欲求と探究心は無限であり、決して枯渇することはありません。時代が変われば、新たな「?」が次々と生まれ続けるのです。
この気づきは、サクセスコンパスへの取り組みにも大きな影響を与えました。何も考えず、ただひたすらに自分が価値があると信じるものを追い求め続ける—そこに本当の充実があるのではないでしょうか。
どれだけ多くの「77の法則」を書き尽くしても、人間の知恵と探究心は常に新たな地平を目指します。だからこそ、このプロジェクトに終わりはなく、ただ深まり続ける旅があるのみです。
皆さんも、自分だけの「問い」を大切に、知識の探究を楽しんでいただければ幸いです。